北海道大震災 その07 ~都市機能麻痺と葛藤~
朝食を終えて、ロウソクもそろそろ不要になったころ、姉が思い出したようにランプを持ってきた。
そういえば姉は中学生頃からランプ集めが趣味で、大人になるころには飾り戸棚一つを占領していたな。
どこか「飾り物」という気持ちが強く思いつかなかったが、しっかり実用的だった。
燃料は「灯油」を使用した。
北海道は各家庭に灯油だけは豊富にあるからこういうときに便利だ。
職場の仲間とLINEや電話でやり取りをしながら状況確認と今後の対応などを話をする。
信号が消灯している中、すぐに店舗を確認に行ってくれたスタッフには感謝。
報告を聞く限り状況は決して良いとは言えない。
見通しの全く立たないところもある。
ただ、食器がいくら割れようが、心が折れなければいくらでもリスタートできる。
仲間達の元気な声を聞きその事だけは確信できた。
今はそれだけで十分だ。
下手に動くことは危険だし、とにかく自宅待機で引き続き連絡を取り合うことに。
全ての信号が消灯しており、車の運転は非常に危険な状態に思われた。
実際その通りなのだが、いざ交差点で譲り合う車を見ていると、思った以上にスムーズに譲り合いができているようにも見える。
驚くことにクラクションを鳴らす車は一台も無く、この辺にも日本人のマナーや道徳観を感じる。
ネットは徐々につながりが悪くなってきた。
加えて正しい情報とデマとが混在していた。
真偽がわからないものの「悪い情報ほど広がりやすく届きやすい」という印象があった。
一部で『携帯の中継器機は24時間程度の非常電源しか使えないため、それ以降は一切ネットも携帯も使用できなくなる』との情報が出回っていた。
多分事実なのだろうが、これには正直恐怖を感じた。
電気に続いてネットもダメになったら精神的なダメージは計り知れない。
また、私の住む地区は『正午で断水が始まるらしい』との情報も流れてきた。
少し早めに車のエンジンをかけ、3本の車載USBを使用して充電をすることにした。
お湯は出ないがシャワーも今のうちに浴びることにした。
冷たい水シャワーは少しきつかったが、それでも十分に耐えられるし、それ以上に水が使えるありがたさを再び感じる瞬間だった。
さらにこの時点では『電源の復旧は一週間程度はかかる見込み』という情報もあった。
一週間・・・長いがこの時点ではかなり覚悟はできていた。
一番上の姪っ子が「一週間だと電池が足りなくなりそう。近くのホーマックまで行ってくる」とのことで向かうことに。
車はエンジンをかけたままスマホを充電中だったので、その車でそのまま行ってもらうことにした。
到着した彼女から姉の携帯に入ったLINEによると、大行列で何時になるかわからないが、とりあえず並ぶとのこと。
数時間単位で行列に並ぶ覚悟が必要なようだ。
そうなってくると彼女が運転していった車の中に置きっぱなしの私の携帯が無いのも不便な事に気が付いた。
各方面との連絡にこれから先の数時間も必要となるだろう。
という事で、私も追っかけ自転車で向かうことにした。
姉曰く「自転車の空気は入れたばかりだから大丈夫。」と・・・。
ところが、姉と私の体重差を考えていなかったのは誤算だった。
走り始めるとすぐに後輪の空気不足が判明。
引き返して空気を入れることも考えたが、そのまま強硬して向かうことに。
ぺしゃんこのタイヤでホーマックに到着すると、想像以上の大行列。
しかも、11時頃の時点で店員さんが「すでに本日販売分は終了」という段ボールに手書きのプラカードを掲げていた。
写真を撮りたかったが、スマホは姪長女の乗った車の中だ。
ハンディスピーカーで店員さんが一生懸命アナウンスをしている。
「すでに販売は終了しましたのでお並びいただけません。また、現在のお客様も商品を購入できるまでは夜までかかる可能性があります。」
結果的に姪長女にも自宅に引き返させて、私もぺしゃんこタイヤの自転車で引き返すことにした。
帰り道にガソリンスタンドの横を通ったが、数キロぐらい並んでいそうな大行列。
後から聞いたところによるとこの時点では3時間~5時間給油にかかったらしい。
色々な都市機能がマヒしている。
だが、そんな中頑張って営業してくれたホーマックやENEOSをはじめとしたガソリンスタンド、セコマ(セイコーマート)の方々には頭が下がる。
「被災した方のため」という使命感もあるのだろうが、そもそも働いている方々が「被災者」なのだから。
本当に感謝である。
ただ、ここからは書くべきか迷ったが、やはりここでも本音の葛藤を記しておく必要があるだろう。
「私自身も誰かの為に何かを・・・」
という気持ちがあったのは本音だ。
炊き出しという事も一瞬頭をよぎった。
しかし、残念ながら私一人ではできることではなく、スタッフの協力が必要となってくる。
そしてそのスタッフは皆家族と共に不安を抱えている一被災者なのである。
「人のため」というのであれば、「人=働いている仲間」という考えも今は大切なように思えた。
「働いている仲間に無理をさせず、まずは生活基盤を安定させること。彼らと彼らの家族を安心させること」
が私のなすべきことと判断してそれを優先とした。
こんな中で営業してくれた前述のような方々に申し訳ない思いはあったし、大きな葛藤だった。
(続く)
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