5年前のとある出来事~その9 ICUから個室に~

ウトウトしたり目覚めたりを繰り返しているうちに時間の感覚が麻痺してきた。
既に数日が経過したような気がしていたが実際には早朝に終わった手術からまだ半日程度しか過ぎていないようだった。

看護師さんが再びやってきてこう告げた。

「ちょっとICUがいっぱいになったのでマンボウさんにはあっちに移ってもらいます。
入院する部屋の準備が出来次第、病棟に移ってもらいますのでそれまではそこで治療を受けてください。」と。

“あっち"と指さされたのはICUと繋がっている個室風の部屋。

入院病棟に移れるという事は経過は良好という事なのだろうが、実感も無ければ感動も安心感も無かった。

開けっ放しのドアの向こう側でスタッフが忙しく動き回っている。
ここは生死の境界線とも言える場所で自分も間違いなくその境界線に立っていた。

だが、その時の自分はただただ、他人事のようにぼんやり眺めているだけだった。

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病棟に移ったのはその日のうちだったか翌日だったか・・・あるいは数日後だったか、時間の感覚が全くなくなっていたので思い出すことはできない。

与えられた部屋は個室だった。
ベッド脇には備え付けのテレビと棚。
窓から見える景色は小さな小山。

春紅葉というのか、緑と茶色のコントラストがきれいだった。
いやきれいな眺めと思ったのはこの時ではなく、退院間近になって感じたことで、この部屋に移った時点では何の感情もわかなかったように思う。

ベッドから降りることはできないが、看護師さんにお願いしてノートパソコンや携帯の充電器を出してベッド脇に置いてもらった。
出張と旅行の長旅の予定で来ているので、身の回り品は一通りそろっていたのは不幸中の幸いだったかもしれない。

ただ、ホテルであれば備え付けられているタオル類などのアメニティ品は今回の旅には持参していなかった。
それらは姪っ子が持ってきてくれた。

そういえば、下着類やその他の足りない日用品はAmazonで購入した事をこれを書きながら今思い出した。
購入履歴を改めて見てみると入院してから5日後の事だから、この時点では自分の意志で何かを買おうなどとも思っていなかったのだろう。

長期の入院になることはぼんやり理解はしていたが、特に覚悟した記憶も憂鬱だった記憶も無い。
淡々とその事を受け入れていたように思う。

そういえば、ICUのピンクのカーテンを隔てた隣の人がどうなったかなぁと漠然と思うものの、その事にすらなんの感情も無かった。

今にして思えば、感情や気力というものを根こそぎ持っていかれていたような気がする。
生きててよかったでもなければ、死ぬかも知れないという恐怖さえも無かった気がする。

(続く)

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