すみれ「30年前の味噌ラーメン」~ムラナカラーメン研究所 「おにやんま」~

その日がとても寒いだったことは覚えている。
地下鉄の駅から歩いているだけで身体が芯から冷えていた。

駅からは徒歩で15分程の距離だったが、除雪の進んでいない歩道は歩きにくくややうんざりしてた。
雪の無い東京の冬を数年過ごしただけなのに、寒さと歩きにくさでこの時ばかりは故郷を否定的に感じていたように思う。

暗がりに浮かぶお店の明かりが見えた時にはホッとした。

確か平成2年か3年の頃だったと思う。
今から30数年前の冬。
ずいぶん昔の事だから記憶が怪しいところもある。
もしかすると間違った記憶が上書きされているかも知れないが許してほしい。

当時東京に住んでいた私は年に数回の札幌出張と帰省で帰ってくるだけだったので、寒さに弱くなったのもあるかも知れない。
とにかく寒い日だったことだけは鮮明に覚えている。

札幌のラーメンに飢えていた私は地元の友人に
「おすすめのラーメン屋は?」
と聞いたのだった。

友人から帰ってきた言葉は
「今は王香(オウシャン)か純連(じゅんれん)に良く行く。そういえば純連は中の島にもできたよ」
というものだった。

確かその王香も純連も「テレビには出ない地元の通だけが知る穴場」というのがおすすめの理由だったように思う。

あえて当時の友人のセリフそのままに書いているが、当時は既に純連(じゅんれん)と純連(すみれ)と別ブランドで運営をされていた。

創業当初は「純連」と書いて「すみれ」と呼んでいたが、昭和58年に純連の読みを「じゅんれん」として、昭和62年にはさっぽろ純連が誕生。
平成元年にはすみれが誕生したというが大まかな歴史である。
(詳しくは拙著コラム「札幌ラーメン最新事情」を参照ください)

友人の勧めの中から中の島に出来たという「すみれ」(※友人はじゅんれんと言っていたが)を選んだ。
それが冒頭のシーンである。

のれんをくぐり、味噌ラーメンを注文した。

厨房の熱気もあり店内は暖かく、寸胴や茹で麺器の影響もあったと思うが、湿度もかなり高かったように記憶している。
そこに運ばれてきたラーメン。

いかにも温かそうなドンブリからは湯気が・・・・と思ったら、ラードで蓋をされたそのドンブリからはまったく湯気が立っていない。

一口スープをすすると・・・。
これがびっくりするほど熱々のスープ!

イラストは大げさであるが、油断していると口の中を火傷するほどの熱さだった。

このスープの温度がたまらない。
「温度も味のうち」とは良く言うが、フーフーとレンゲを吹きながらいただくこのスープ。
まさに反則級の美味しさだ!

もちろん温度だけじゃない。
パンチのあるニンニクの風味やラードのコク、そして味噌の香り。
自分の知っている札幌味噌ラーメンの特徴をさらに強調したようなインパクト。

衝撃だった。

それこそ「むさぼる」という表現がぴったりなほど、夢中になって食べ進めた。

かなりの味の濃さだったが、スープを飲み干すころには汗だくになっていた。

帰り道は地下鉄の駅まで身体がポカポカだった。
そして、久しぶりの札幌ラーメンに心もポカポカだった。
店にたどり着くまでの寒ささえもこれを美味しく味わう前菜だったのではないかと思うほど。

付け加えるなら、上顎が火傷したことさえ心地良く感じた。

時は流れ、平成6年「新横浜ラーメン博物館」にすみれが出店するとの噂が耳に入った。

当時仲良くしていた東京の友人がこんなことを言っていた。
「札幌ラーメンってそんなに美味しいか?東京にもあちこちにあるけどそんなに好きじゃない」と。

確かに当時は第何次かはわからないが札幌ラーメンのブームだったような気がする。
あちこちで「札幌ラーメン」ののぼりを掲げる店はあった。
だが、残念ながらその多くは「札幌ラーメンを名乗って欲しくない」と思うようなお店だった。

新横浜ラーメン博物館にその友人を連れて行ったのはすみれが入って間もないころ。
確か友人の交通費を私が払う事になり、往復「東京-新横浜」の短い距離に新幹線を使ったのだったと思う。

行列に並びようやくありつく事が出来たすみれの味噌ラーメン。
友人は一口食べて目を丸くしていた。

「なんだこれ!めちゃくちゃ美味しい」

「だべ!これが本物の札幌ラーメンなんだわ」
この頃は意識して北海道弁やイントネーションが出ないようにしていた頃だったが、むしろ「あえて」北海道弁とその言い回しで自慢げに話した記憶がある。

札幌出身であること、札幌ラーメンが美味しいこと・・・誇らしかった、
自分自身のプライドを取り戻した瞬間だったように思う。

・・・・思い出話が長くなってしまった。

さてそんな記憶の中のすみれの味噌ラーメン。
なんと、現代に蘇ったのである。

おにやんま「ムラナカラーメン研究所」にて、週末限定で「30年前の味噌ラーメン」が食べられるのである。
しかも作り手が村中社長ご自身。
当時の味を作り上げた御大自ら鍋を振っているのである。

とはいえ・・・実は少し心配もあった。
「昔美味しいと思ったのは思い出が美化されたからかも知れない」
とね。

余計な心配であった。

もうね、一口食べてぶっ飛んだね!

まず香りが全然違う!
口に含んだ時の鼻から抜ける香り・・・。
味噌の風味や香ばしさが全く違うのである。

「この味噌の風味・・・これだっ!!」
色んな記憶が蘇ってくる。

あの時と同じように火傷しそうなぐらい熱々のスープ・・・。
ラードのコク、もやしなどの野菜から出た旨味・・・。

記憶が蘇るというよりも心だけ時空を飛び越えるぐらいのインパクトがあった。

自分の中のソウルフードの一つだからというのももちろんあるかも知れない。
それでも「控えめに言って最高!」というぐらいの美味しさだった。

もちろん、今でもすみれの味噌ラーメンは時々食べる。
味の評価に関しては私がどうこう言うまでもなく、そのすべてのお店の行列を見ればわかるだろう。

30年前の味噌ラーメン・・・。
あえてそのように言っているように、時代と共に少しずつ進化させてきたのだと思う。

多くの人に食べてもらえるようにブレの少ないオペレーション。
職人(調理人)育成のしやすい仕込みや工程etc.

勝手な想像ではあるが、そういうものもあったのかも知れない。
だが、それを含めて「時代に合わせたマイルドな味わい」へと進化を遂げているんだと思う。

今回いただいた30年前の味噌ラーメン。
あえて言うなら「全部のトーンが強い」というか・・・音楽で言うと音圧の強いラーメンに仕上がっていると思う。

先に書いた「味噌の香り」もそうだが、パンチが強い分尖った部分も多いかも知れない。

もしかしたら、食べ比べ実験のようなことを実施したら
「今のすみれの方が食べやすくて好き」
という人の方が多かったりするのかも知れない。

時代と共に成長し、進化しているすみれのラーメン。

どっちが好きかは個人の判断にゆだねるとして・・・。

私はこれが今この時代に再び食べられたことに感謝しかない。

目の前で伝説の村中社長が鍋を振って、あの頃の味を再現して・・・。
冬の寒い季節に汗だくになりながら熱々のスープをすする・・・。

「反則級の美味しさで、悪魔的に美味しい」のであった。

あの日と同じように・・・とは行かないが、少し離れたコインパーキングから雪道を歩いてお店に向かった。
外套は昔とは比べ物にならないぐらいに暖かく、身体が芯から冷えるような事もなくなった。

それでも小雪のちらつく中、熱々のスープをすすると身体も心もポカポカになるのは変わらない。
帰りのパーキングまでスキップしたいような気持でお店を後にした。

上顎の火傷さえ心地良いのはあの時と同じだった。

DATA
おにやんま「ムラナカラーメン研究所」
札幌市豊平区中の島2条6-1-5
※今年は3月末まで食べられるそうです

「今日の一言」
  美化された
   思い出よりも
     なお美し

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