味の三平で味噌ラーメン
とある大学の試験で、難問に手も足も出ない学生が、やけくそでカレーライスの作り方を書いたところなぜか試験に受かったという!
そしてその話を聞いた後輩学生。
翌年それをまねて同じ教授の試験で同じくカレーの作り方を書いたらしい。
ところが、学生はあえなく不合格になったので理由を教授に尋ねた。
教授の返答は「ジャガイモが入っていなかったから」というものだったそうな!
この話スゲー好き(笑)
・・・え?都市伝説なの?(*o*)
ちなみに、私の通っていた大学でも同様の話がありました!
応援団の顧問をしている先生の試験。
「寮歌」を一字一句間違えず4番まで書けたら「優」をもらえるって。
はい、思った通りこれも都市伝説でしたね。
ちなみにO先輩、勉強をそっちのけで何度も寮歌を書き写していたっけ。
試験では問題も読まずに寮歌を書き写したO先輩。
予想通り「再試験」の通知が来ていました(笑)
・・・その労力を勉強に向ければよかったのに(ー_ー)
さて、話はラーメンのお話。
ご存知味噌ラーメンの元祖。
味の三平さんです。
時は昭和30年代。
札幌には札幌チョンガー、通称「札チョン族」と呼ばれる単身赴任者が多数いたそうな。
彼らは家庭の味の代名詞である味噌汁に飢えていたのもあり、味の三平にも「味噌汁が飲みたい」という要望が多かったそうな。
そこで、「豚汁」を提供し好評を博した同店。
そこにそのうち「豚汁に麺を入れてくれよ」というわがままを言う客が現れたのも頷けるというもの。
当時札幌でラーメンといえば「醤油味」が定番。
味の三平でも醤油ラーメンを提供していたが、この豚汁にラーメンの麺を入れた味噌味のラーメンが評判となり味噌ラーメンが生まれたとのこと。
故郷や家族の顔を思い浮かべながら食べていた彼らのことを思うと・・・うん、ちょっとほっこりする良い話だなぁと思ったものでした。
え?その誕生秘話って都市伝説なの!?(*o*)
以前から味噌の健康効果や味に着目していた創業者の大宮守人氏。
味噌汁をベースに改良を重ね生み出した全くのオリジナル。
文字通り大宮守人氏の「発明」だったことが公式サイトにも書かれています。
とはいえ、故郷を離れ単身赴任で札幌に来ていた「札チョン族」の方にしてみれば、家庭の味である味噌汁と、お腹がいっぱいになれる麺との組み合わせ・・・。
お客さんの「豚汁に麺を入れてくれ!」から生まれたと言うのは都市伝説だったとしても、当時の人々には嬉しく美味しい味だったのは間違いないことでしょう。
味の三平の大宮氏の発明は味噌を使ったことだけじゃない。
・もやしや玉ねぎを使ったこと。
・ひき肉と一緒にそれらを炒めるあおり調理を発明したこと。
・ニンニクを使用したこと。
・札幌ラーメンの定番ちぢれ麺を西山製麺と一緒に開発したこと。
・ラーメンライスを発明したこと・・・。
札幌ラーメンに欠かせない要素をこの時点で発明されたこと。
そして、それが今でも多くの店で「札幌味噌ラーメン」の欠かせない要素として取り入れられ続けていること。
すごいよね。
60年以上を経ても多くのお店で「もやしとひき肉をラードで炒め、ニンニクを入れて、味噌で味を整え、縮れ麺と合わせる」という札幌ラーメンが作られ、そして愛されている。
これは「大宮氏をリスペクトしているから」とか「札幌ラーメンの伝統を守りたいから」といった大義名分のもとじゃなく、シンプルに「美味しいから」という理由なんだと思う。
そう考えるとますますこの「発明」の偉大さを感じてしまう。
個人的には発明家エジソンより発明家として尊敬しています(笑)
あ、味の三平の味を書いていなかったね。
しっかりとラードは浮かびながらすっきりとした口当たり。
味噌そのものの味わいの生きたスープ。
弾けるような弾力のあるちぢれ麺。
味の重ね方や複雑さと言う意味では新しいお店の方があるのかもしれない。
実際一時期はこのお店で食べるより他のお店を選んでいた時期もある。
でも、今は「あ・・・三平の味噌ラーメンが食べたい」とふっと思うことしばしば。
味の三平にしか出せないこの店らしいシンプルながら奥深い美味しさを求めて今日もお店に足を運ぶのでした^^
札幌味噌ラーメン発祥のお店という「ありがたさ」もあるのも事実だし、自分が年をとってシンプルな味わいを好むようになったと言うのもあるのかもしれないが・・・。
それでもやっぱり時々無性に食べたくなる不思議な魔力があるんだよね。
あーあ・・・。
誰か「ラーメンを沢山食べると太るってのは都市伝説だってよ」って言ってくれないかな。
DATA
味の三平
札幌市中央区南1条西3丁目2 大丸藤井セントラルビル 4F
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