更科食堂@三笠市幾春別
実は私が生まれた街は札幌ではなく美唄なんです。
3歳まで美唄で過ごし、その後も親戚が住んでいる事、祖父母の墓がそこにあることから頻繁に行くことがある縁の深い地でもある。
三井・三菱などの炭鉱で栄えた街であるが、私が生まれた時にはすでに三井炭鉱は閉山し、三菱炭鉱も閉山が近かったため、炭鉱そのものは斜陽産業になりつつあった頃だと思う。
ただ、活気のあった駅前や大通りの存在、美唄鉄道の存在などその名残は色濃く残っている街でもあった。
夕張や三笠など、ひと時炭鉱で栄えた街にはどこか独特の空気というか雰囲気があるように思う。
自分のルーツが美唄だからかも知れないが、どこか懐かしいような大きく包み込むような・・・一言で言えば共通するのは「癒される街」なのである。
その昔、美唄で教鞭をとっていた父がよく話をしていたことがある。
進路を決める時に、優秀な生徒には
『これからはエネルギー産業の時代だ!』
と言いながら、炭坑を奨め、ちょっと出来の良くない生徒には
『金貸しでもやったらどうだ!』
と言いながら銀行を奨めていた時代があったそうだ。
(※注:そんな言い方はしていないでしょうが、当時の心理状況はそんな風にどこか銀行を低く見ていた事は事実なんでしょうね。)
そして、それから何十年も経っての同窓会。
優秀だった生徒は行方がわからなくなっており、銀行勤めの生徒はバブル期の支店長として絶頂を迎えていたらしい。
酒を飲んで酔うと
『あの時に自分にきちんと未来が見えていればなぁ・・・生徒達には申し訳ない事をした。』
などとその後も何度か寂しそうに語っていたのを思い出す。
変わりゆくもの・・・変わりゆく街・・・
父もまたそんな時代の変化に翻弄された一人だったのかも知れない。
さて・・・。
今日はそんな炭鉱と共に栄え、炭鉱と共に(ある意味)衰退した街のひとつ、三笠市幾春別(いくしゅんべつ)の名店「更科食堂」をご紹介。
創業はなんと大正14年!!
今年で創業92年になるのだから驚きだ。
更科食堂の名前の通り、蕎麦が名物であり確かに美味しいのだが、ここは丼物も美味しいしラーメンも絶品なのだ!
ちょっと小ぶりの器に入ったラーメンは優しい味わいだが、決して物足りなくはない。
昔からこんなに美味しいラーメンを提供していたのだろうか?
だとしたら驚きだ!
(※写真はセピア調に加工してあります。)
店の中央に陣取る石油ストーブや・・・。
冷蔵庫に壁の時計。
昭和の空気を色濃く残す店内は、ただそこにいるだけで心が洗われるような気持ちになる。
ラーメンが小ぶりだから・・・という言い訳をするわけじゃあないが、やっぱり蕎麦も手繰っておきたいよね。
店名の由来になっているのだと思うが、更科系の真っ白な蕎麦。
やや太めに切られたその蕎麦はすっきりとした甘みを感じる極上麺。
出汁の良く効いた少しキリっとした汁とも相性抜群。
デザート感覚でするすると胃袋に収まる。
初めて訪れたのは数年前。
山菜のシーズンやゴルフのシーズンにしか来たことが無いが、遠回りしても食べる価値のある店だと思う。
時代と共に変わりゆくものが沢山ある・・・いや、むしろほとんどのものが変わってゆく中で、変わらない事の大切さ・・・そんな事も思い出させてくれるお店。
変わりゆくこの街の栄枯盛衰をずっとこの場所で見守ってきたんでしょうね。
これからも変わらずにいて欲しいお店の一つだ。
DATA
更科食堂
北海道三笠市幾春別町1-174
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